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魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

2000年5月





2000.5.31.

こちらが話をしたいと思い、
語りかけても、耳をふさがれる事がある。
ふさがれた耳の上からいくら語りかけても
なにも聞こえないだろう。
なにも伝わらないだろう。
だからといって無理矢理、耳をふさいでいる手を
はぎとる事もできない。
待つしかないのだろうか。
待っても無駄なのだろうか。
今は耳をふさぐ手が少しでも緩むのを
待つことにしよう。


2000.5.29.

好きな相手、大事だと思っている相手には、
自分のことを理解して欲しいと切に思う。
完全には理解できないだろう。
それでも、少しでも深く理解して欲しいと思う。
逆に、相手のこともできるだけ深く理解したいと思う。
すべてを完全に理解することはできないが、
できるだけ深く理解する努力を惜しみたくないと思う。
そうして、ひとりでも多くの人達と
理解し合えるようになりたいと思う。


2000.5.24.

小学校のPTAの役員をやっている。
運営委員会や部会があるので最低月に二回は
学校へ行く。それ以外にも出て行く事がある。
今はいつでも都合がつくが、やはり家族を
支えるだけの収入を稼ぎながらPTA活動の
出来る父親などごくわずかなのだろう。
自分で融通の効く商売をやっている人しかできない。
サラリーマンでは非常に難しいと思う。
もっと父親が参加できる社会にできないものか。
もっとも父親は会社や仕事にかこつけてめんどくさいことを
しないですむと思っているのかもしれないのだが。
要は意識の問題だろう。雇用側も被雇用側も得意先も外注先も、
教育というものに対してもっと関心を深めて、
積極的に関わっていかなければならないと思う。
子どもたちを育てる大人として責任をもって。


2000.5.19.

息子がお腹が痛いと言って泣くので、
時間外の市民病院へ連れて行った。
時間外なのにけっこう人が多く、
かなり待つことになった。
幸い息子はもう泣くほどまでには
痛みが強くなく、おとなしくしていたが、
病院に着いたのが夜の9時半で、
診察・治療が終わったのは12時前だった。
あんまり待たされるのでかなりいらついたが、
当直の医者が悪いわけでもないし、
どこに怒りをぶつけられるものでもない。
「待つのは3時間、診てもらうのは3分」などと
大きな病院の待ち時間についてはいろいろと
いわれているが、なんとかならないものだろうか。


2000.5.15.

そこにいるだけじゃ何も変わらない。
黙っていては何も変わらない。
一人よがりに行動しても、
他人に働きかけなければ、
何も変わらないんじゃないのか?
もし、こうするべきだと思ったら、
もし、こうあるべきだと思ったら、
語りかけなければ。
一人からはじめよう。
一人が二人、二人が三人になることを願って。
やがてひとつの潮流を生み出せたら、
何かが確かに変わるのだろう。


2000.5.12.

西アフリカにシエラレオネという国がある。
内戦の傷跡はあまりにも痛々しい。
略奪、拉致、強かん、四肢切断。
「週刊金曜日」には強かんされ、両手を切断された上、
妊娠してしまった14歳の少女の話が載っていた。
いったい彼女に、誰がどんな言葉をかけてやれるのだろう。
目頭が熱くなった。怒りが込み上げてきた。
人間はなぜこうも残虐になれるのだろう。
正義も悪も無い。そこには殺す者と殺される者しか居ない。
略奪する者とされる者、拉致する者とされる者、
強かんする者とされる者、四肢切断する者とされる者、
「する者」と「される者」しか居ない。
「される者」の苦しみ、悲しみ、痛みを思うと
やりきれない気持ちになる。


2000.5.10.

笑うよりも笑われたほうがいい。
騙すよりも騙されるほうがいい。
傷つけるよりも傷つけられたほうがいい。
ののしるよりもののしられたほうがいい。
信じないでいるよりも信じていたい。
こういうふうな考え方はきれいごとなのか?
「きれいごと」というのは否定的な言い方だ。
きれいであるべきだがそんなことはありえない、というふうに。
でもやはり、きれいごとを目指していたいと思う。
そうあるべきだと信じて。


2000.5.7.

あるMLで「子ども」という言葉の表現について
勉強させてもらった。
「子供」と書くことが蔑視的な表現だったとは、
知らなかった。さきほどやっと自分のサイトの
「子供」を「子ども」に変えたところだ。
言葉を使うのにもかなり気を使わなければいけない。
自分が知らなくても、ある人達を傷つけたりしているのだろう。
相手が知らなくても、自分が傷つくことがあるように。
だが、自分が傷つけられたらそのことを伝えよう。
私に傷つけられた方は私にそのことを伝えて欲しいと思う。
すべての人達が傷つけられることなく、
幸せに暮らせたらいいのに、と思う。


2000.5.4.

愛知県で高校3年生が65歳の女性を刺し殺した。
動機が「人を殺す経験をしたかった」。
なんということだろう。人の命をなんと考えるか。
なぜこのように考える人間が育つのだろう。
以前、小学校の教師と話したときに、家庭用ゲーム機が
普及していくのに連れて子ども達が変わり始めた、
というようなことを聞いた。
頭を使う、考える力のつくようなゲームもあるだろう。
だが、ゲームばかりして人間同士のふれあいが少ないと
人の心、痛み、悲しみ、怒り、喜びさえも実感が乏しく、
敏感に感じることが出来なくなるのだろうか。
ゲームで簡単に人を殺し、物を壊すことが子ども達に
どんな影響を与えているのだろう。
もし、ゲームの影響で人間を軽々しく考える人間が
育ってきたとしたら、最初のゲーム世代はとっくに
大人になっているのだ。近頃の子どもだけでなく、大人もまた
恐ろしい存在である。犯罪予備軍はそこらじゅうにいるのだろうか。
人間を尊重する教育としつけの大切さを考えずにいられない。


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